野村監督の阪神時代の球団成績

阪神時代

様々な球団で監督を務めた野村監督は、在籍してきた球団ごとにある程度満足のいく成績を残してきました。しかし、彼の野球監督人生で唯一球団成績の低迷を改善することが出来なかったのが阪神タイガース時代です。

監督就任時のタイガースは、非常に選手層の薄い球団であり、簡単には球団が強くなるような状況ではありませんでした。

しかし、当時若手の投手であった井川慶をエース級の投手に育て上げたり、F1セブンと呼ばれる足の速い選手を積極的に起用した機動力野球を採用し強豪球団と戦いました。

特に、F1セブンの代表格である赤星憲広は、野村監督退任後もチームの主力として活躍しました。ただ、井川や赤星の抜擢が直接球団成績の劇的な改善に効果をもたらすには時間がかかり、野村監督が阪神に在籍していた3年間は連続で最下位である6位が続きました。

しかし、この3年間は決して球団にとって無駄な期間ではなく常勝球団としての礎を築く3年間であり、退任2年後の星野監督時代に、前述の井川・赤星等の野村政権下で育てられた選手たちの活躍もありリーグ優勝を達成しました。