野村監督の阪神当時の人気について

阪神野村

野村克也氏は現役時代の大半を南海ホークスで過ごし、プレイングマネージャーもつとめました。「生涯一捕手」と呼ばれた彼は卓越した野球理論で引退後もヤクルト、阪神、楽天で監督になりました。

特に阪神の監督に就任した1998年オフには多くの阪神ファンが近い将来優勝できることを夢見たものでした。野村監督が就任する前のタイガースは長い低迷期に入っており、最下位の常連チームになっていました。

従って彼がタイガースを変革してくれるものと期待していたのです。野村監督の野球はひと味違っており、リリーフ投手の遠山と葛西のどちらかをワンポイントで守備につかせて打者ごとに起用するという戦術も行いました。

また、「F1セブン」と名前を付け、俊足の若手を売り出そうとしたこともありました。この中には後に盗塁王になる赤星も入っていました。

野村監督が監督だった当時の人気は成績は悪かったですが高かったです。結局3年連続最下位で監督を辞めましたが、その2年後に彼が育てた選手が活躍して18年ぶりのリーグ優勝を達成しました。