プロ野球の野村監督のヤクルト時代の球団成績

神宮球場

野村監督と言えば、プロ野球界で最も偉大な監督の1人であることは野球ファンの間での共通認識であることは言うまでもないでしょう。

特に、1990年から1998年の間に監督として在籍していたヤクルト時代は、彼の偉大な記録の一つとなっています。監督就任した際にヤクルトスワローズは万年Bクラスの弱小球団でした。

アレックス

そのため、球団成績を大幅に改善するのは容易ではなく、就任1年目は5位に甘んじてしまいました。しかし2年目の1991年シーズンは正捕手の古田に英才教育を行うことで攻守ともにチームの中心選手に育て上げ、他の選手の適材適所な活用により11年ぶりのリーグAクラス入りを達成しました。

そして、翌年からは破竹の勢いで勝ち続けリーグ2連覇を達成し、一気に球団を強豪チームに育て上げました。その後は、4位と1位を繰り返す不安定な球団成績が続きますが、本来Bクラスが定位置の弱小球団であったヤクルトスワローズが隔年とはいえリーグ優勝したのはまさに快挙であると言えます。

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プロ野球 野村監督ヤクルトスワローズ在任当時の所属選手

古田

ヤクルトを率いた時代、野村克也監督の采配を象徴する言葉といえば、やはり「ID野球」でしょう。

そして現在プロ野球界では、その野村ID野球を熟知する当時の所属選手たちが、指導者として多数活躍しています。

例えば現職の指導者としては2015年にセ・リーグ優勝を果たしたヤクルトの真中満監督と高津臣吾投手コーチ、侍ジャパンの稲葉篤紀打撃コーチなどが挙げられます。

また現在は現場を離れているものの、指導歴がある野村監督の教え子といえば誰もが最初に思い出すであろう、元ヤクルト選手兼任監督の古田敦也さん、同じく選手兼任コーチだった宮本慎也さんなども挙げられます。

上記のようないわば「ID野球の継承者」というイメージとかけ離れたところでは、元メジャーリーガーで現在はタレントとしても活躍する石井一久さんも、野村監督時代の中心選手のひとりでした。

キャッチャー

こうして振り返ってみると、当時の燕軍団は本当に才能豊かで個性的な面々が揃っていたんですね。